「計算ミス」で終わらせていませんか
計算問題を間違えたとき、よく、「計算ミスだね」で終わることがあります。
そして、「もっと丁寧に計算しなさい」「ちゃんと見直しなさい」「計算練習を増やそう」となる。
もちろん、本当に単純なうっかりミスの場合もあります。
でも私は、計算問題を間違えたという結果を、すべて「計算ミス」という一言で片づけることには反対です。
同じ不正解でも、どこで間違えたのか。なぜ間違えたのか。計算方法そのものに問題があるのか。式の書き方に問題があるのか。数の捉え方に問題があるのか。原因は同じではありません。
計算を間違える子の答案を見て、気になること
これは私の指導経験から感じていることですが、計算問題をよく間違える子の答案を見ると、一つ気になる特徴があります。
元の式の中や周囲に、部分計算をたくさん書き込んでいる。
途中の数字。筆算。約分。小さなメモ。
それらが一つの式の周囲に混在して、だんだん答案がごちゃごちゃしていく。
こうなると、どこまで計算したのか。どの数字が元の式なのか。どの数字が部分計算なのか。次にどこを計算するのか。自分自身でもわかりにくくなります。
そして、一つ数字を写し間違えたり、一つ計算を間違えたりすると、どこで崩れたのかも見つけにくくなります。
四則混合計算は「答えを出す」のではなく「式を短くしていく」
私は、四則混合計算をするとき、最初から「答えを出そう」と考えなくていいと思っています。
それよりも、「この式を一段ずつ短くしていこう」と考える。
例えば、48-(12+6)×2という式があったとします。
まず、12+6を計算する。必要なら、その部分計算は別の余白で行います。
そして、元の式に書き込むのではなく、新しく、48-18×2と書く。
さらに、18×2を計算し、48-36と新しい式を書く。そして、12。
- 48-(12+6)×2
- 48-18×2
- 48-36
- 12
答えを出すのではなく、式を一段ずつ短くする。
私はこの書き方を大切にしています。
部分計算は、別の場所で行えばいい
もちろん、すべてを暗算する必要はありません。
筆算が必要なら、筆算をすればいい。部分計算が必要なら、部分計算をすればいい。
大切なのは、それを元の式の中に全部書き込まないことです。
部分計算や筆算は、別の余白や計算スペースで行う。
そして、そこで出た結果を、次の式に戻す。また新しい式を書く。
こうすることで、答案には、「自分がどのように式を整理していったのか」という道筋が残ります。
どこで間違えたのかが、一目でわかる
式を一段ずつ書き直していくことには、もう一つ大きな意味があります。
それは、間違えた場所がわかることです。
例えば、1行目から2行目は正しい。2行目から3行目で数字が変わっている。なら、そこを見ればいい。
答案が整理されていれば、本人にも、指導する側にも、どこで崩れたのかがわかります。
逆に、一つの式の周囲に、部分計算や数字が大量に書き込まれていると、最終的な答えが間違っていても、どこで間違えたのかを探すところから始めなければなりません。
計算の答案は、答えを残すだけではなく、自分の計算をあとから確認できる形で残すことにも意味があります。
この習慣は、中学以降にもつながる
小学生の四則混合計算と、中学生以降の方程式は、もちろん同じものではありません。
ただ、式を一段ずつ整理する。前の式とのつながりを残す。一つの式を、次の形へ変えていく。
こうした感覚は、中学生になって、文字式や方程式を扱うときにも大いに役立ちます。
中学生になって突然、「式を一行ずつ整理して書きなさい」と言われても、それまで答えだけを書いてきた子にとっては、簡単なことではありません。
小学生の計算問題の段階から、式を整理しながら進める習慣を持っておく。
私は、それも算数から数学への大切なつながりだと考えています。
もう一つ大切なのが「数的感覚」
式を正しく書いていても、計算を間違えることはあります。
そこで、もう一つ大切になるのが、数そのものを見る力です。
計算をして数字が出た。そこで、「答えが出た」と終わるのではなく、「この数字、本当にあり得るのか?」と考える。
例えば、計算する前の条件から、答えはある数の倍数になるはずだとわかっている。ところが、計算結果がその倍数になっていない。それなら、どこかがおかしい可能性があります。
偶数になるはずなのに奇数になっている。ある数で割り切れるはずなのに割り切れない。
こうした違和感を持てるようになると、計算結果を、ただ出てきた数字として受け取らなくなります。
素因数分解は、ただ分解するためだけの勉強ではない
その意味で、私は、倍数。約数。素数。素因数分解。こうした数の学習を大切にしています。
素因数分解も、ただ、「この数を素数の積に直しなさい」という問題を解くためだけのものではありません。
数が、どんな要素からできているのか。どんな数で割れるのか。どんな倍数なのか。
そうした、数の構造を見る感覚につながります。
計算結果を見たときに、「この数字になるのは少しおかしい」と感じられる。
それは、計算力とは別の、非常に大切な力です。
計算結果を無条件に信用しない
計算をすると、どうしても、最後に出てきた数字を答えだと思ってしまいます。
でも、自分で出した数字だからといって、正しいとは限りません。
大切なのは、自分の計算結果を、自分で疑えること。
式を見る。数を見る。問題の条件を見る。そして、「この答えで本当にいいのか」と考える。
計算の見直しというのは、もう一度同じ計算を繰り返すだけではないと、私は考えています。
- 元の式を見る
- 次に計算する部分を判断する
- 必要な部分計算・筆算は別の場所で行う
- 結果を元の式に戻す
- 新しい式を書く
- 式を一段ずつ短くする
- 答えの数としての性質も確認する
「計算を間違えたから、もっと計算問題」ではない
計算問題を間違えると、すぐに、「計算練習を増やそう」となることがあります。
もちろん、練習量が必要な場合もあります。
でも、私は、間違えた計算を10問追加する前に、その1問をちゃんと見ることの方が大切だと思っています。
どこで間違えたのか。なぜ間違えたのか。式が整理されていたのか。部分計算が混在していなかったか。数そのものに違和感を持てなかったのか。
そこを見ないまま、同じような計算問題を増やしても、同じ方法で、同じような間違いを繰り返す可能性があります。
練習量の前に、計算の仕方を見る。
私はそこを大切にしています。
正解した計算も、見る価値がある
逆に、答えが合っているから、必ず良い計算をしているとも限りません。
途中が非常に複雑になっている。危ない暗算を繰り返している。毎回かなり無理のある処理をしている。
それでも、たまたま答えが合うことがあります。
だから、計算問題も、正解・不正解だけではなく、どう計算したのかを見ることが大切です。
ここは、式や図を見ることと同じです。
計算には「工夫」もある
計算には、ただ決められた順番通りに処理するだけではなく、数の性質を利用して、より見通しよく計算する考え方もあります。
ただし、その具体的な内容については、今回の記事では詳しく扱いません。
結局、ここでも式を書くことが大切
計算問題でも、私はやはり、式を書くことを大切にしています。
ただ、式を書くこと自体が目的なのではありません。
式を書くことで、自分がどこまで計算したのかがわかる。何を計算したのかがわかる。どこで間違えたのかがわかる。そして、自分の考えをあとから見直すことができます。
計算問題は、答えだけを書くものではありません。
式を整理しながら、一段ずつ短くしていく。
その過程も、計算力の一部だと私は考えています。
小学5年生の算数の現在地を確認したい方へ
「計算問題で同じような間違いが続く」
「式の周囲に部分計算をたくさん書き込んでいる」
「答えだけを書いて途中が残っていない」
「どこで間違えたのか本人にもわからない」
「計算結果に違和感を持てない」
「計算問題を繰り返しているのに改善しない」
こうした状態は、正解・不正解だけを見ていても、原因がわからないことがあります。
IINA算数診断では、小学5年生の答案から、次の内容などを確認します。
- 正誤
- 途中式
- 計算過程
- 図
- 解法の選び方
- 数量や数の捉え方
- 考え方の特徴
現在できていることと、これから優先して取り組みたい課題を整理します。